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ラスト・サムライ The Last Samurai
渡辺謙、カッコ良いです。
でも、わたしの好みだったのは真田広之。
…ま、真田は渡辺謙に比べればやっぱりイマイチ印象薄いのかもしれないけど。
えーと、まず、気になったこと。
それは、オープニング。
富士山。
…富士山、デカッ。
トム・クルーズがどっから日本に上陸したんだか知らないけど、いやー、海沿いからあんなに富士山デカいのは変じゃね?
それと、英語ね。
ハリウッドの映画だし、英語が多いのは仕方ないと思います。
まあ、日本人同士の会話が結構日本語だったので、そこら辺はまあ良し。
しかし、江戸~明治にかけてなんだし、まだまだ日本語自体が現代語とは違ったハズでは。
武士が現代語っぽい言葉喋ってるのには、若干引きました。
英語と言えば、渡辺謙があんなに英語喋れるのは変じゃないの?
天皇とかさぁ、普通あんなに英語喋れるもん?
当時はまだ、西欧人=南蛮人っていう風に庶民は思っていた時代だったろうし、一部の人間は進んで英語を学ぼうとしていたとは思うけど(学者とか医者とか外交官とか)、普通の人間がそう思っていたとはイマイチ思えません。
うーん、謎だ。
それに、渡辺謙が英語を喋るのは取り敢えず良いとしても…。
最後の最後、末期の言葉が英語っていうのはどう?
日本人としては、武士らしく死んだ…という風に描くなら、日本語で桜についての和歌でも詠んで欲しかった。
辞世の句とか。
まあ、平安以降の辞世の句って、基本的に戦場に赴く前にしたためて、身に着けていたんだと思ったけど。
その場で詠んでも、誰も書き留めてくれないしねぇ。
大体、大村って外交官が話すシーン。
日本人相手に話すのに、何故に英語?
大村が「打て!」とか英語で言って、指揮官の1人が「打て!」って日本語で号令…。
お前日本人だろ!
こいつはホント、妙に英語ばかり喋っていて、違和感アリまくりだった。
天皇相手に英語で喋るなよ。
それじゃ、他に気になったことをちょろちょろと。
のどかな村…うーん、良いねぇ。
でも、この村、日本じゃないね。
農村っぽい雰囲気はよく出てたけど、農民と武士しか住んでいない村ってどうなの?
どうも、都合が良すぎるというか…うーん、分からん。
当時のことにそれ程詳しいわけじゃないんだけれども、普段読んでる小説では、武士というのは基本的に要地にいるもので、田舎の村にはいないもんだと思うんだよね。
年貢の徴収とか、検地などがあった時にやって来る、みたいなイメージ。
村には農民が住んでいて、地主みたいのが責任者、何かがあれば彼らが代表して要地に上り、直訴する、っていうイメージじゃないですか?
ホントの大昔、まだ武士と農民の境が曖昧だった戦国くらいならともかく、江戸時代に武士と農民が仲良く暮らしているっていうのには、ちょっと違和感があったなぁ。
違和感と言うなら、武家の女性(しかも、元老院に参議として迎えられる程の勝元の義妹)が、畑仕事をしているのもおかしい。
江戸時代に経済的に困窮した下士の家ならばともかく、幾ら何でも、上士の家ではそれなりの体面を保っていたハズ。
百歩譲って、相当貧しい領地しか持っていなかったんだとしても、武家の女性らしい髪型でもなく、流し髪で歩いているのは幾ら何でも変なのでは?
それに、当時は食事はそれぞれの膳で食べていたと記憶している。
ちゃぶ台が普及したのは、もっと時代が下ってからでは?
仮にも武士の家だし…。
それと、戦争の描かれ方も少しおかしい。
日本で鉄砲というのは安土桃山時代に既に認められた武器であって、有名なところだと織田信長だって使っているハズ。
時代が少し下っても、例えば大阪夏の陣だったか冬の陣だったかでは、落城前に東軍が砲撃したハズなんだけど。
江戸時代には自前の大砲を作って日々研究していたんだし。
だとすると、武士道=銃器を使わない、っていうのは変じゃない?
それと、忍者ね。
何だありゃ。
あれって、いかにも「西欧人の考える日本人」の典型だね。
確かに忍者というのは戦国時代にはかなり活用されたものだし、江戸時代の将軍(何代目かは失念)にも、各大名に間者を放つのが好き、っていうタイプの人もいた気がする。
でも、銃を肯定して新型の銃を次々と導入しているハズの官軍側が、刀と手裏剣と鉤爪(鉤爪って、あんた…)しか持たない忍者を送り込む意味が分からない。
何だあのシーンは?
まあ、細かい粗は多すぎてこれ以上は突っ込む気になりません。
…結構突っ込んだけど。
ただ、これだけは言わせて。
最後のシーン、あそこ、感動するところじゃなくて笑うとこ?w
幾らなんでも、敵対していた官軍側がいきなり跪いたりするかなぁ。
下士官が個人的に勝元の生き様(というか死に様)に感嘆する、感じるものがある、というのは分かります。
でも、取り囲んでいる兵士達までそれに倣うのは…うーん、違和感。
感動のシーンのハズが、前述の勝元の最期の言葉が英語ってことと、このあまりにご都合主義な演出のせいで、逆に鼻白んでしまいました。
それに、「武士道」というものを考えるなら、小雪とトム・クルーズの仄かなラブシーンはいらない。
はっきり言って、あのシーンが「武士道」ってものを中途半端にしている。
ぶち壊しだと思います。
日本では、江戸時代くらいには「二夫に見えず」というのが当たり前だと(武家では)されていたハズだし。
その前、戦国時代では当然のように、家の為に再婚繰り返すってパターンも多かったけども、それは飽くまでも「家」の付属品として女が扱われていたということ。
まあ、江戸時代まで時代が下っても、嫁いだ相手が夭逝→その弟と兄嫁が結婚して家督を継ぐ、というのはあったと思うけど。
もしも「武士道」というものを本気で表したいと思ったなら、あそこは飽くまで見詰めるだけで済ませるべきだったと思う。
…っていうか、あんなに背が高くて、あんなにイマイチ日本人らしくない人を、わざわざあの役に据えなくても良かったんじゃ…。
着物が似合わないとまでは言わないけど、決して似合っているとは思わなかったし。
それに、日本人の典型的な美人というのとは、小雪の顔はちょっと違うと思う。
言っちゃなんだけど、もっと着物姿に違和感のない人は、他にもっといっぱいいるんじゃないかなぁ。
立ち居振る舞いも、別に特別キレイって感じもしなかったし。
大河とかを見た後だと、結構違和感があるなぁと思いました。
色々ツッコミまくったんですが、まあ見たら結構楽しめると思います。
「これは日本映画じゃない、飽くまでハリウッド映画。ファンタジーだよファンタジー」と思えば、色んな粗も見ないフリして見られるかも、と思います。
それにしても、感動の話にするなら…
トム・クルーズには死んでほしかった。
いや、まじで。
でも、わたしの好みだったのは真田広之。
…ま、真田は渡辺謙に比べればやっぱりイマイチ印象薄いのかもしれないけど。
えーと、まず、気になったこと。
それは、オープニング。
富士山。
…富士山、デカッ。
トム・クルーズがどっから日本に上陸したんだか知らないけど、いやー、海沿いからあんなに富士山デカいのは変じゃね?
それと、英語ね。
ハリウッドの映画だし、英語が多いのは仕方ないと思います。
まあ、日本人同士の会話が結構日本語だったので、そこら辺はまあ良し。
しかし、江戸~明治にかけてなんだし、まだまだ日本語自体が現代語とは違ったハズでは。
武士が現代語っぽい言葉喋ってるのには、若干引きました。
英語と言えば、渡辺謙があんなに英語喋れるのは変じゃないの?
天皇とかさぁ、普通あんなに英語喋れるもん?
当時はまだ、西欧人=南蛮人っていう風に庶民は思っていた時代だったろうし、一部の人間は進んで英語を学ぼうとしていたとは思うけど(学者とか医者とか外交官とか)、普通の人間がそう思っていたとはイマイチ思えません。
うーん、謎だ。
それに、渡辺謙が英語を喋るのは取り敢えず良いとしても…。
最後の最後、末期の言葉が英語っていうのはどう?
日本人としては、武士らしく死んだ…という風に描くなら、日本語で桜についての和歌でも詠んで欲しかった。
辞世の句とか。
まあ、平安以降の辞世の句って、基本的に戦場に赴く前にしたためて、身に着けていたんだと思ったけど。
その場で詠んでも、誰も書き留めてくれないしねぇ。
大体、大村って外交官が話すシーン。
日本人相手に話すのに、何故に英語?
大村が「打て!」とか英語で言って、指揮官の1人が「打て!」って日本語で号令…。
お前日本人だろ!
こいつはホント、妙に英語ばかり喋っていて、違和感アリまくりだった。
天皇相手に英語で喋るなよ。
それじゃ、他に気になったことをちょろちょろと。
のどかな村…うーん、良いねぇ。
でも、この村、日本じゃないね。
農村っぽい雰囲気はよく出てたけど、農民と武士しか住んでいない村ってどうなの?
どうも、都合が良すぎるというか…うーん、分からん。
当時のことにそれ程詳しいわけじゃないんだけれども、普段読んでる小説では、武士というのは基本的に要地にいるもので、田舎の村にはいないもんだと思うんだよね。
年貢の徴収とか、検地などがあった時にやって来る、みたいなイメージ。
村には農民が住んでいて、地主みたいのが責任者、何かがあれば彼らが代表して要地に上り、直訴する、っていうイメージじゃないですか?
ホントの大昔、まだ武士と農民の境が曖昧だった戦国くらいならともかく、江戸時代に武士と農民が仲良く暮らしているっていうのには、ちょっと違和感があったなぁ。
違和感と言うなら、武家の女性(しかも、元老院に参議として迎えられる程の勝元の義妹)が、畑仕事をしているのもおかしい。
江戸時代に経済的に困窮した下士の家ならばともかく、幾ら何でも、上士の家ではそれなりの体面を保っていたハズ。
百歩譲って、相当貧しい領地しか持っていなかったんだとしても、武家の女性らしい髪型でもなく、流し髪で歩いているのは幾ら何でも変なのでは?
それに、当時は食事はそれぞれの膳で食べていたと記憶している。
ちゃぶ台が普及したのは、もっと時代が下ってからでは?
仮にも武士の家だし…。
それと、戦争の描かれ方も少しおかしい。
日本で鉄砲というのは安土桃山時代に既に認められた武器であって、有名なところだと織田信長だって使っているハズ。
時代が少し下っても、例えば大阪夏の陣だったか冬の陣だったかでは、落城前に東軍が砲撃したハズなんだけど。
江戸時代には自前の大砲を作って日々研究していたんだし。
だとすると、武士道=銃器を使わない、っていうのは変じゃない?
それと、忍者ね。
何だありゃ。
あれって、いかにも「西欧人の考える日本人」の典型だね。
確かに忍者というのは戦国時代にはかなり活用されたものだし、江戸時代の将軍(何代目かは失念)にも、各大名に間者を放つのが好き、っていうタイプの人もいた気がする。
でも、銃を肯定して新型の銃を次々と導入しているハズの官軍側が、刀と手裏剣と鉤爪(鉤爪って、あんた…)しか持たない忍者を送り込む意味が分からない。
何だあのシーンは?
まあ、細かい粗は多すぎてこれ以上は突っ込む気になりません。
…結構突っ込んだけど。
ただ、これだけは言わせて。
最後のシーン、あそこ、感動するところじゃなくて笑うとこ?w
幾らなんでも、敵対していた官軍側がいきなり跪いたりするかなぁ。
下士官が個人的に勝元の生き様(というか死に様)に感嘆する、感じるものがある、というのは分かります。
でも、取り囲んでいる兵士達までそれに倣うのは…うーん、違和感。
感動のシーンのハズが、前述の勝元の最期の言葉が英語ってことと、このあまりにご都合主義な演出のせいで、逆に鼻白んでしまいました。
それに、「武士道」というものを考えるなら、小雪とトム・クルーズの仄かなラブシーンはいらない。
はっきり言って、あのシーンが「武士道」ってものを中途半端にしている。
ぶち壊しだと思います。
日本では、江戸時代くらいには「二夫に見えず」というのが当たり前だと(武家では)されていたハズだし。
その前、戦国時代では当然のように、家の為に再婚繰り返すってパターンも多かったけども、それは飽くまでも「家」の付属品として女が扱われていたということ。
まあ、江戸時代まで時代が下っても、嫁いだ相手が夭逝→その弟と兄嫁が結婚して家督を継ぐ、というのはあったと思うけど。
もしも「武士道」というものを本気で表したいと思ったなら、あそこは飽くまで見詰めるだけで済ませるべきだったと思う。
…っていうか、あんなに背が高くて、あんなにイマイチ日本人らしくない人を、わざわざあの役に据えなくても良かったんじゃ…。
着物が似合わないとまでは言わないけど、決して似合っているとは思わなかったし。
それに、日本人の典型的な美人というのとは、小雪の顔はちょっと違うと思う。
言っちゃなんだけど、もっと着物姿に違和感のない人は、他にもっといっぱいいるんじゃないかなぁ。
立ち居振る舞いも、別に特別キレイって感じもしなかったし。
大河とかを見た後だと、結構違和感があるなぁと思いました。
色々ツッコミまくったんですが、まあ見たら結構楽しめると思います。
「これは日本映画じゃない、飽くまでハリウッド映画。ファンタジーだよファンタジー」と思えば、色んな粗も見ないフリして見られるかも、と思います。
それにしても、感動の話にするなら…
トム・クルーズには死んでほしかった。
いや、まじで。
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