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オペラ座の怪人 The Phantom of the Opera
有名ミュージカル「オペラ座の怪人」を映画化した作品。
特筆すべき点は…そうね、ミュージカルの音楽をつけたアンドリュー・ロイド・ウェバーが、この映画でも音楽を担当してるとこかな。
ミュージカルそのまま(らしい)音楽は、流石に圧倒される迫力がありました。
さて、わたしは、ミュージカルがかなり好きです。
歌って踊ってるだけじゃん、と言われてしまえばそれまでですが、それがいいんだよ。
まあ、ミュージカルというのは、ストーリーを削って音楽とダンスを詰め込んでるようなものなので、ストーリーは薄くなりがちですけどね。
映画全体の感想としては、「音楽がイイ」。
オープニングの音楽が、えっらい迫力あるのです。こういう曲がわたしは好き。
映画の予告でも使われた音楽ですが、もンのすごいキャッチーな曲だと思いませんか?
この音楽が突如鳴り出すだけで、十分映画に引き込まれます。
映画としては、どうだったのかな~。
わたしは、学校の図書館で一人でオペラを見ちゃうくらい、オペラとかミュージカルが好きなので、全編がほぼ歌オンリーなのも気にならなかったのですが…。
強いて気になるといえば、怪人の歌がきっと一番下手くそなこと。
「音楽の天使」とか名乗り、その才能は図抜けている、という設定のハズなのに、怪人の歌が一番下手、という矛盾。
どうなんだろうこれは。
既にこの部分で、映画の重要なポイントが破綻してはいまいか。
うーむ…。
ついでに、怪人……キレイすぎます。
こんなに美しい怪人でいいのか。
マスクはずしても、別に「ぅげっ」と思うほどの顔じゃないんですよね。
クリスティーヌが息を呑み、思わず後じさるほどじゃない。
っていうか、あんなに露骨に「げげっ」って態度を露にしたクリスティーヌが、何故もそんなに好きなんだ、ファントム。
まあ、そもそも、この映画で首を捻りたくなるのはそこなんですよね。
つまり、「どうしてファントムはクリスティーヌがそんなに好きなの?」というとこ。
クリスティーヌが、ファントムを「音楽の天使」と呼んで信頼しているのには、別に疑問は感じないんですが。
どうして、歌がウマいだけの小娘にそこまで肩入れするのかね?
もう一つ気になったのが、「クリスティーヌの選択」。
クリスティーヌは、結局のところ、怪人=音楽、ラウル=平凡な幸せ、という2択で悩んでるんだと思うのですよ。
そして、そこで普通の幸せを選ぶ。
…人間としては、そっちのが確かに幸せになれるかもしれませんけどね。
でも、「芸術家」を目指すなら、本当に音楽を愛しているなら、「音楽」を選んでほしかった。
マンガの話になってしまいますが、山岸涼子の「ニジンフスキー」とか読んでると、一つのことを極めるためには、ある程度の犠牲が必要なのかもしれん、と さえ思ってしまうし。そして、人間が最も極めたいものを極めるときに必要になる代償とは、自分の人生にとって同じくらいに大きいものじゃなきゃダメなので すよ、物語としてはね。
そうじゃなきゃ、つまらない。
ところが、この映画では………ねぇ。
まあ、映画としてはイマイチ話に入りきれない部分が多かったのですが、歌はいいです。
そして、ファントムとか名乗り、華やかなオペラ座の地下で、闇に紛れてひっそりと空しい生活を送っているんだ、と思わせておきながら、地下に神秘的で華麗な地下室を作り上げ、一人で王様気取りなとこが結構笑えます。
確かに孤独ではあるかもしれないけれど、マダム・ジリーのような庇護者がいて、歌があって、姿を見せられなくとも、誰とも語り合えなくとも、いつだって洗練された舞台を、まるで我がモノのように見られる。
ぶっちゃけ、怪人がそう哀れとも思えないのです。
だからこそなのかな~…怪人、人を殺しすぎだろ、とか思ってしまうのは。
怪人が哀れで、本当に見ていて同情できるならいいんだけども、明らかに、「だからって無関係な人殺すなよ」ってことばっかしてる辺り、イマイチ共感しきれないんですよね。
ラウルにしても、ぼんぼんで、苦労知らずで、オペラ座の新オーナーになる→好きな女と再会→らぶらぶかっぷるに→ライバル出現→でも彼女は僕のだ!みたいな…。
感情移入どころか、「結局お前はなんなんだ! 金以外にお前の魅力って何だ!」と思わせてしまう、どーしよーもない男だと思うのです。
特筆すべき点は…そうね、ミュージカルの音楽をつけたアンドリュー・ロイド・ウェバーが、この映画でも音楽を担当してるとこかな。
ミュージカルそのまま(らしい)音楽は、流石に圧倒される迫力がありました。
さて、わたしは、ミュージカルがかなり好きです。
歌って踊ってるだけじゃん、と言われてしまえばそれまでですが、それがいいんだよ。
まあ、ミュージカルというのは、ストーリーを削って音楽とダンスを詰め込んでるようなものなので、ストーリーは薄くなりがちですけどね。
映画全体の感想としては、「音楽がイイ」。
オープニングの音楽が、えっらい迫力あるのです。こういう曲がわたしは好き。
映画の予告でも使われた音楽ですが、もンのすごいキャッチーな曲だと思いませんか?
この音楽が突如鳴り出すだけで、十分映画に引き込まれます。
映画としては、どうだったのかな~。
わたしは、学校の図書館で一人でオペラを見ちゃうくらい、オペラとかミュージカルが好きなので、全編がほぼ歌オンリーなのも気にならなかったのですが…。
強いて気になるといえば、怪人の歌がきっと一番下手くそなこと。
「音楽の天使」とか名乗り、その才能は図抜けている、という設定のハズなのに、怪人の歌が一番下手、という矛盾。
どうなんだろうこれは。
既にこの部分で、映画の重要なポイントが破綻してはいまいか。
うーむ…。
ついでに、怪人……キレイすぎます。
こんなに美しい怪人でいいのか。
マスクはずしても、別に「ぅげっ」と思うほどの顔じゃないんですよね。
クリスティーヌが息を呑み、思わず後じさるほどじゃない。
っていうか、あんなに露骨に「げげっ」って態度を露にしたクリスティーヌが、何故もそんなに好きなんだ、ファントム。
まあ、そもそも、この映画で首を捻りたくなるのはそこなんですよね。
つまり、「どうしてファントムはクリスティーヌがそんなに好きなの?」というとこ。
クリスティーヌが、ファントムを「音楽の天使」と呼んで信頼しているのには、別に疑問は感じないんですが。
どうして、歌がウマいだけの小娘にそこまで肩入れするのかね?
もう一つ気になったのが、「クリスティーヌの選択」。
クリスティーヌは、結局のところ、怪人=音楽、ラウル=平凡な幸せ、という2択で悩んでるんだと思うのですよ。
そして、そこで普通の幸せを選ぶ。
…人間としては、そっちのが確かに幸せになれるかもしれませんけどね。
でも、「芸術家」を目指すなら、本当に音楽を愛しているなら、「音楽」を選んでほしかった。
マンガの話になってしまいますが、山岸涼子の「ニジンフスキー」とか読んでると、一つのことを極めるためには、ある程度の犠牲が必要なのかもしれん、と さえ思ってしまうし。そして、人間が最も極めたいものを極めるときに必要になる代償とは、自分の人生にとって同じくらいに大きいものじゃなきゃダメなので すよ、物語としてはね。
そうじゃなきゃ、つまらない。
ところが、この映画では………ねぇ。
まあ、映画としてはイマイチ話に入りきれない部分が多かったのですが、歌はいいです。
そして、ファントムとか名乗り、華やかなオペラ座の地下で、闇に紛れてひっそりと空しい生活を送っているんだ、と思わせておきながら、地下に神秘的で華麗な地下室を作り上げ、一人で王様気取りなとこが結構笑えます。
確かに孤独ではあるかもしれないけれど、マダム・ジリーのような庇護者がいて、歌があって、姿を見せられなくとも、誰とも語り合えなくとも、いつだって洗練された舞台を、まるで我がモノのように見られる。
ぶっちゃけ、怪人がそう哀れとも思えないのです。
だからこそなのかな~…怪人、人を殺しすぎだろ、とか思ってしまうのは。
怪人が哀れで、本当に見ていて同情できるならいいんだけども、明らかに、「だからって無関係な人殺すなよ」ってことばっかしてる辺り、イマイチ共感しきれないんですよね。
ラウルにしても、ぼんぼんで、苦労知らずで、オペラ座の新オーナーになる→好きな女と再会→らぶらぶかっぷるに→ライバル出現→でも彼女は僕のだ!みたいな…。
感情移入どころか、「結局お前はなんなんだ! 金以外にお前の魅力って何だ!」と思わせてしまう、どーしよーもない男だと思うのです。
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